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1日 元日 一年の始まりであるこの日を「元日」と言い、「年の初めを祝う」と言うことで、国民の祝日となっています。(特に、この日の朝方を「元旦」と言います。)
この日にはお節を食べたり、初詣に行ったりする習慣があります。
お節とは、近頃ではお正月料理全体を表すようになっていますが、本来は重箱に詰められた料理を指し、めでたさを重ねると言う意味が込められています。
また、お雑煮もお節の一つとして全国的に食べられていますが、使われる具とかだしなどは、それぞれの地方色が色濃く出ています。
これも、めでたさを重ねる意味から、お代わりをするのが良いこととされているようです。
初詣は、本来は氏神様に詣でるものでしたが、特にそれにこだわらず、有名な神社などに参詣に行くことも多いようです。
日付についても、大晦日から元旦にかけて、年籠りをしたり、二年参りをすることが、初詣の始まりとも言われていますが、この日にこだわらずに、2日以降にお参りに行くことも多くなってきているようです。
2日 初夢の日 初夢とは、一年のうちで初めて見る夢のことですが、それなら、1月1日の朝に見るのが最初のはずです。
でも、元日から2日にかけて見た夢を初夢とするのは、その昔は、年籠りや二年参りなどで、大晦日から元日にかけては寝なかったことも多かったので、元日から2日かけて見た夢を初夢とするのだそうです。
そのときに見た夢を、夢占いのようにする習慣も有り、“一富士、二鷹、三茄子”と言うのが、良い夢のベストスリーと言われています。
ただし、その意味(由来)については、諸説が有り、本当のところは良く分かっていません。
3日 NHK紅白歌合戦の始まった日 紅白歌合戦と言えば、現在では大晦日の行事となっていますが、その第一回目は、1951年1月3日に行われました。
もちろん、テレビはまだありませんでしたので、ラジオによる放送です。
7組が出場し、1時間ほどの番組だったようで、白組が優勝したそうです。
2回目と3回目も、1月に入ってから行われていましたが、現在のように、年末に行われるようになったのは、第4回目の、1953年12月31日からです。
4日 御用始め 官公庁では、12月29日から1月3日までを休暇とすることが決められているため(1873年より)、4日が仕事始めとなります。(曜日の関係で、実際の仕事始めは、この日ではなく、ずれることもあります。)
この日のことを、「御用始め」と呼んでいて、一般の企業もこれにならうことが多かったのですが、最近では特に、サービス業ではもっと早くから仕事を始めたり、製造業などでは、これより遅く始まるところもあるようです。
5日 囲碁の日 囲碁は中国が発祥の地と言われていますが、その後に日本に入ってきてからは、日本で盛んに行われてきました。
明治時代に、八百屋の長兵衛と言う人が、商売の都合もあって、本当は実力があるのに試合にわざと負けたりしていました。
これがバレて、後に八百長試合と呼ばれるようになったそうで・・・
また、試合の相手が自分より弱いとき、ハンディキャップとして、一目余計に置くことを許すことがありますが、そこから、一目置くと言う言葉も発生しています。
このように、現在ではたとえ囲碁をやらない人の間にも、関連することが生活の中に入り込んでいますが、この日を語呂合わせで、囲碁の日とされています。
6日 東京消防出初式 1659年1月4日に、上野東照宮前で出初を行って気勢をあげたことが、明暦の大火後、絶望的な状態にあった江戸市民に、大きな希望と信頼を与えたそうです。
このことから、定火消の「出初」は、毎年1月4日に上野東照宮で行われることとなりました。
これが恒例行事となって、現在の出初式に受け継がれていますが、その後日程が何回か変更になり、1953年からは現在のように、1月6日に行われるようになりました。
また、名称についても、「東京消防出初式」となっています。

消防出初式の移り変わり (東京消防庁):
7日 七草 「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ」の、七種類を春の七草と呼んでいます。
そして、それらを刻んでお粥に入れて食べるのが、七草粥です。
これは、七草粥をこの日に食べると、邪気を払ったり万病を除くとして言い伝えられていますが、お正月のお節で疲れた胃を休めることと、野菜を補うと言う効果もあるようです。
また、普通に料理するのではなく、七草を刻むときは、囃子歌を歌いながらすると言うのが習慣となっています。
この囃子歌は鳥追い歌から変形したもので、「唐土の鳥が日本へ渡らぬ先に七草なずなを摘み入れて・・・」のような歌詞がありますが、これは、害鳥を追って豊作を祈ると同時に、大陸から鳥による疫病が入ってこないことを願った歌とされています。
随分と古くからある習慣ですが、その頃から鳥インフルエンザがあったのでしょうか・・・?
8日 さきがけ(人工惑星)が打ち上げられた日 1985年1月8日に、ハレー試験探査機「さきがけ」が、鹿児島宇宙空間観測所(現内之浦宇宙空間観測所)から打ち上げられました。
これは、地球の重力を抜けて、太陽の周りを周回する衛星としては、日本で初めてのことでした。(地球の周りを回る衛星は、それ以前よりありました。)
この「さきがけ」は、76年ぶりに太陽に回帰してきたハレー彗星を探査するために、その準備として試験探査機として打ち上げられたものです。
これは、ロケットの性能の確認や、太陽周回軌道に打ち上げられたときに必要な、惑星間空間軌道に関する資料集めや、超遠距離通信とか姿勢制御の方法など、新しい技術の習得するためなどの目的を達成しました。
その後、1999年1月8日に、送信機のスイッチが切られるまでの14年間に渡り、大活躍をしました。
9日 とんちの日 とんちばなしで有名な一休さんにちなんで、日付の語呂合わせから、1月9日が、「とんちの日」とされています。
ちなみに、その一休さんについては、アニメなどにもなっていますが、室町時代に実際に存在していた禅宗のお坊さんでした。
その振る舞いが、他のお坊さんとは一味違っていたことから、話題になり、特に江戸時代になってからその話が、面白おかしく語られるようになりました。
10日 110番の日 1985年12月に警察庁がこの日を「110番の日」としました。
この日としたのは、特に起源などには関係なく、単なる語呂合わせから来ています。
110番の正しい使い方のアピールをするために、全国の警察でキャンペーンが行われています。
11日 鏡開き 1月11日には、年末から正月を迎えるために飾った鏡餅(お供え)を、雑煮や汁粉にして食べ、一家の円満を願う行事を行いますが、これを「鏡開き」と呼んでいます。
何日も飾っておくために、もちが固くなってしまいますが、それを切り分けるのに、刃物は使わないことになっています。
それは、もともとこの習慣は、武家社会から発しているので、切腹につながることを忌み嫌った訳です。
「鏡割り」とは言わずに、「開く」と言う言葉を使うことも、縁起を担いでのことですね。
最近の鏡餅は、パック入りになっているので、硬くなることはありませんが、逆に刃物を使わないで切り分けるのは、難しくなってしまいました。(そのために、でしょうか・・・中身が、小分けになったものが登場していますネッ!)
12日 桜島の日 九州にある桜島は、活火山の島ですから、何度も噴火をしていますが、今までに特に大きな噴火が、「天平」「文明」「安永」「大正」 「昭和」などの時代にそれぞれありました。
このうち、大正の大噴火が、1914年1月12日にあったことから、この日が「桜島の日」とされています。
最初に「島」と言う表現をしましたが、現在はその大正の大噴火によって流出した溶岩により、大隈半島と地続きになっています。
13日 ピース記念日 1946年1月13日に、タバコの「ピース」が初めて発売されました。
10本入り7円だったそうですが、当時としては相当高い金額で、高級品としての位置づけでした。
14日 どんど焼き 正月に飾ったお飾りを持ち寄って、焚き上げる行事を「どんど焼き」と言い、この日の夜(ところによっては、15日の昼間や、その他の日などの場合もあるようです)に行います。
また、その呼び名も、「とんど焼き」、「どんどん焼き」、「どんと焼き」など、バラエティに富んでいますが、「左義長(さぎちょう)」(本来は、「三毬杖」と書きますが、これは、平安時代の「毬杖」と言う遊びで使われた、杖のようなものを三本束ねて立てて、それをベースにして焼くものを載せたことから来ています)と言う行事のことで、物理的には正月の後片付けですが、その火で焼いたもちを食べると、病気にならなくて済むとか、書初めの書を燃やして、炎が高く上れば上達をするなど、様々な意味づけをしています。
15日 小正月 1月15日(本来は、旧暦)は、1月1日の正月(大正月)に対して、小正月と呼ばれています。
1月1日からこの日までを「松の内」と言い、正月飾りなどもこの日(前日)まで飾って、どんど焼きなどを行います。
地方によっては、この日の朝は、小豆粥を食べる習慣があります。
七草粥と同様に、実質的には正月で疲れた胃を休める意味もあるようですが、邪気をはらい、健康を願っていただきます。
また、この日は、「元服の儀」を行っていたことから、「成人の日」とされていましたが、ハッピーマンデー制度により、「成人の日」は、1月の第二月曜日となり、この日とは関係がなくなってしまいました。
16日 薮入り 昔の奉公人は、一度奉公に出るとやたらに休みをもらうことができず、薮入りの日だけ実家などに帰ることが許されました。
「薮入り」とは、藪(草深いところ)に入って行く(帰る)と言う意味で、一年のうちで、正月のこの日と、お盆の二日間しか有りませんでした。
「宿入り」とか「宿下がり」とも言われています。
今では考えられない労働環境ですが、昔とは言え大昔のことではない(昭和のはじめごろまで?)のも信じられない感じです!
17日 阪神・淡路大震災のあった日 1995年1月17日に、淡路島北部を震源として、直下型の大地震がありました。
これにより、淡路島はもちろん阪神地区にまで大きな被害が発生しました。
気象庁はこれを、「平成7年(1995年)兵庫県南部地震(The South Hyogo prefecture Earthquake in 1995)」と命名しました。
この地震後の復興には、地元の人はじめ各地の人が協力すると言う、ボランティア活動が活発に行われました。
このことから、この日を「防災とボランティアの日」として閣議でも決定されています。
18日 都バスの日 1924年1月18日に、東京市営乗合バスが営業を開始しました。
このときの路線は、「巣鴨〜東京駅」間と、「中渋谷〜東京駅」間だったそうです。
これは、関東大震災で被害を受けてしまった、路面電車にかわる輸送機関として登場しましたが、その後も路線を増やして行き、現在に至っています。
このことに由来して、東京都交通局がこの日を、「都バスの日」と制定しました。
19日 成田線(成田鉄道)開通の日 1897年1月19日に、成田鉄道が、佐倉〜成田間を開業しました。
これは現在の、JR成田線(成田空港線)の元になった路線で、成田空港ができるときに有った、成田新幹線の構想が中止となってから、空港へのアクセスを確保するために利用され現在に至っています。
20日 二十日正月 1月20日は、「二十日正月」と言って、正月の祝い納めの日です。
15日までを松の内として、そこまでを正月とする地方もありますが、ところによっては、この日を正月最後の日として仕事を休み、正月の飾り付けを片付けたり、おせち料理の残りを食べつくすなどの風習があるところもあるようです。
おせち料理など、この日まで残っておらず、とっくになくなってしまうことも有るでしょうけど、料理で使った魚の骨を残しておき、それを使って大根や大豆などと一緒に粕汁にして食べると言う習慣もあり、「骨正月」と言うところもあるようです。
また、正月から働きづめだった主婦が、休養をとるために、この日に里帰りをすると言うところもあるようです。
21日 原潜ノーチラスの進水した日 1954年1月21日に、アメリカの原子力潜水艦「ノーチラス」が、進水しました。
原子力潜水艦としては、世界で初めての進水と言うことになります。
このノーチラスは、1952年6月14日から建造が開始されましたが、この日に進水式が行われた後、9月30日からに就役しました。
そして、1955年1月17日には、史上初めての原子力を使っての運転にも成功しています。
1980年3月30日に退役しましたが、その後解体されることはなく、コネチカット州のグロトンで、記念艦として展示されています。
22日 国産の飛行船が飛んだ日 1916年1月22日に、国産で初めての飛行船である、「雄飛号」が、所沢から大阪に向けて飛び立ちました。
途中で給油のために豊橋に立ち寄りましたので、到着は翌日になりましたが、実質の飛行時間は、9時間ほどでした。
今では、自動車の方が速い位かも知れませんが、当時は、航続距離など飛行機よりも有利な乗り物として研究が進んでいました。
ただし当時は、水素ガスを使用していたことから、火災になることもあって、やはり主力は飛行機になっていきます。
23日 真白き富士の根の日 1910年1月23日に、神奈川県の逗子開成中学(旧制)の生徒が、学校のボートで出かけたところ、七里ヶ浜で遭難し、乗っていた 12人全員が死亡してしまいました。
いくつかの偶然が重なって起きてしまいましたが(事故になるときにはありがちなことですが)、このことは、生徒が勝手にボートを持ち出すことができてしてしまったことなど、当時大変な話題になったようです(真白き富士の根(逗子開成中学校・高等学校):)。
姉妹校である、鎌倉女学校(現在の、鎌倉女学院)の教諭(三角錫子)が、このことを哀悼する歌を作り、翌月に行われた追悼式で、三角教諭が弾くオルガンで、女学生たちが歌い、御霊にささげたそうです。
そのときは、単なる「哀歌」と言うタイトルだったそうですが、その後に「真白き富士の根」と言うタイトルが付けられ、広く愛唱歌として歌われてきました。
また、遭難した中には、兄弟で乗っていた人たちもありましたが、遺体として上がったときに兄が弟をしっかりと抱きしめていたことが、涙を誘いました。
そのことから、その後、稲村ガ崎に、遭難碑として彼ら兄弟の像が建てられました。
24日 給食記念日 1946年12月24日に、戦争のため中止されていた学校給食が、東京都、神奈川県、千葉県で再開されました。
その日ではなく、一ヵ月後のこの日を「給食記念日」とされた理由は、12月24日は冬休みだからと言うことのようです。
東京都の場合で言えば、冬休みは、12月26日からと言うことになっていますので、その日はまだ冬休みではありません!(でも、カレンダーの関係もあって、通常の休みになることもあります。)
でも、終業式とか色々な理由で、この日に給食が無いことは多いようですので、他の日に振り替えるのも分からないでもないですが、安易に一ヵ月後にすると言うのは、どんなもんでしょうか?(語呂合わせでも良いので、もっと意味のある日を選んだ方が・・・ ^_^; )
25日 日本の最低気温記録日 1902年1月25日に、北海道の旭川で、-41.0℃を記録しました。
これは、気象庁の公式記録としての最低ですので、非公式の記録では、もっと低い記録もあるかもしれません。
ちなみに、2位は、同じく北海道の帯広で、-38.2℃を記録しています。
これは、なんとその翌日の、1902年1月26日でした。
歴代全国ランキング(気象庁):
26日 文化財防火デー 1949年1月26日に、奈良県斑鳩町の法隆寺金堂が火事になりました。
これにより、国宝の十二面壁画の大半が焼損してしまいました。
そのときの原因は、失火だったのかあるいは放火だったのか、良く分からないこともあったようですが、とにかくこのような大切な文化財が、一瞬にしてなくなってしまう火事の恐ろしさについて考えるきっかけになりました。
そしてこの日を「文化財防火デー」として、文化財を火災から守ることを考える日として、1955年1月26日に、国家消防本部(総務省消防庁)と文化財保護委員会の連名で定められました。
文化財防火デーの契機となった法隆寺金堂火災(東京消防庁):
27日 青函トンネルが貫通した日 1983年1月27日に、青函トンネルの先進坑道が貫通しました。
これにより、本州と北海道が地続きとなったことになります。
本坑については、それから2年後の、1985年3月10日に貫通し、さらに3年後の、1988年3月13日から、ここを走る列車の営業運転が開始しました。
1961年3月23日に、北海道側の吉岡で斜坑の掘削が開始されてから、開業までになんと、27年もかかった大工事でした。
全長は、53.85kmで、2006年現在、鉄道トンネルとしては、世界最長となっています。
ただし、海底部の延長は、23.3kmしかないため、全長では第二位の、ドーバー海峡のユーロトンネル(全長、50.5km、海底部、37.9km)が、世界最長となっています。
28日 日刊新聞が創刊された日 1871年1月28日(旧暦では、明治3年12月8日)に、日本で初めての日刊新聞が創刊されました。
それは、「横浜毎日新聞」と言うタイトルで、「横浜活版舎」が、横浜において発行していました。
内容は、貿易に関することが中心で、当時の横浜ではそのような情報が必要とされていたことが伺われます。
29日 自動車の誕生日 1886年1月29日に、世界で初めての原動機付き三輪車に、ドイツ政府から特許がおりました。
それを作ったのは、ドイツの技術者である、カール・ベンツと言う人でした。
当時、もう一人の技術者、ゴットリープ・ダイムラーと言う人が、やはり自動車の研究をしており、こちらは四輪車を開発していました。
当時のベンツの三輪自動車は、水冷単気筒の 984ccで、最高出力は 0.89psしかなかったのです。
また、ダイムラーの四輪自動車の方も 462ccで、最高出力は 1.1psでした。
最高速度にしても、20km/h前後だったようです。
それぞれは、別々に研究開発を続けていましたが、後にこの二人が、ダイムラー・ベンツ社を作り、メルセデス・ベンツの生みの親となりました。
今では、ベンツといえば高級車の代名詞とさえ言われるようになっていますが、このように馬車にも劣るような性能のところからスタートしていたのですねぇ・・・!
メルセデス・ストーリー(Mercedes-Benz Japan):
30日 赤穂浪士討ち入りの日 1703年1月30日に、本所松坂町(現在の墨田区両国)に有る吉良邸に、赤穂の浪士たちが討ち入りをしました。
・・・あれ? って思う方も多いと思いますが、それは年末の話として有名で、実際にこちらでもご紹介している通り、12月14日の出来事とされています。
もちろん、それは元禄15年の12月14日に間違いは無いのですが、あくまでも旧暦でのお話です。
それを、新暦(西暦)に直せば、1703年1月30日と言うことになりますので、今から、三百数年前の今日の出来事と言うことになるのです。
31日 生命保険の日 1882年1月31日に、日本で初めての生命保険金が支払われました。
それは、前年の 7月に、日本で初めての生命保険会社である、有限明治生命保険会社が設立されました。
その加入者が、病死したために支払われることになったのですが、そのときの本人が支払った保険料は 30円で、遺族が手にした保険金は 1000円だったそうです。
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